香港のボードゲーム工場をみてきた。
・香港へ
香港の印刷会社を視察してきた。
『カタン』や『ディクシット』、『乗車券』、『世界の七不思議』などの有名なボードゲームをたくさん印刷している『プライムライン』という会社。
理由は、『世界印刷 | ボードゲーム、カードゲームの海外印刷仲介』というサービスを立ちあげたからだ。
これは「自分でボードゲームやカードゲームが作りたい!」という日本のクリエイターに、海外の安くてクオリティの高い印刷所を仲介するサービス。
同行者はタンサンアンドカンパニー(タンサンファブリーク、というブランド名でご存じの方も多いだろう)のデザイナー兼取締役、吉田昌乘氏。
・ヘンリー
ふたりで関空から香港へ飛んだ。
空港にはプライムラインの社長であるヘンリーが自家用車で迎えにきてくれた。
外見は五十歳ぐらいの小柄な人物。しゃべり方も行動も妙にせっかち。彼は僕らのつたない英語に辛抱強く付きあってくれた。
彼の愛車はまっ白なベンツだった。腕にはぴかぴかのフランク・ミュラーが輝いていた。断じてフランク三浦ではない。
香港の印刷業界は儲かってんな! と僕は思った。
空港から市内までは車で約二十分。高速道路沿いには椰子の木が並んでいた。周囲の景色は緑が豊かだった。
香港は南国なんだな、とあらためて認識した。
まずはヘンリーがホテルへ送ってくれ、一緒に点心の昼食を楽しんだのだけど、こうした細部は割愛する。
今回はボードゲームの印刷に関わる部分だけを書いていく。
・香港オフィス
オフィス街に入った。
一階がパーキングになったビルに車を停め、斜め向かいの、全面ガラス張りのビルに入った。プライムラインの事務所はそこの七階にあった。
中の雰囲気はまるでIT企業だ。パーティションで区切られた作業ブースが並んでいる。
ここで働いている人間は九名とのこと。
案内されたミーティングルームには彼らの製品が無数に並んでいた。『ラー』や『ドブル』や『スルー・ジ・エイジズ』や『インカの黄金』や……とにかく、前後左右、どこを向いても知っているゲームばかりだ。
中にはタンサンアンドカンパニーやコザイク(僕の個人会社)の作品も置かれていた。
ちょっとした感動。
社長のヘンリーに加え、ふだん実務を担当してくれているジャニス、ジョーも顔を出してくれた。
英語名を名乗っているけど、もちろん彼らは香港人だ。ヘンリーの本名は梁兆輝。ジャニスは羅敏儀。ジョーは郭智莘。
これらの表記を、僕は彼らの名刺を受けとって初めて目にした。どこがヘンリーやねん、ジャニスやねん、ジョーやねん、などと思ったけど、僕は、口には出さなかった。
打合せの内容は、現在印刷を進めている作品群のスケジュール確認、今後使用可能なコンポーネントのサンプル確認、日本で用意したコンポーネント(特殊なコマなど)を香港でほかの印刷物と一緒にパッケージングしてもらうことの可否について、などなど。
あとは日本のボードゲーム業界の現状などについても話した。
彼らはふだん数十万個の単位でボードゲームを印刷している。その一方で、僕らが依頼する数量は数百個から多くても数千個といったところ。彼らにとって僕らは取るに足らない存在だけど、「日本における今後のボードゲーム業界の発展を見越して、特別に付きあってやる」ということらしい。
ありがとうございます、としか言えない。
とはいえ、彼らの歓待ぶりは相当なもので、打合せのあとはミシュランで星を獲得している海鮮レストランへ連れていってくれ、山の頂上にある展望台にも案内してくれ、香港の味と夜景とを存分に楽しませてくれた。
どうやら香港を直接、訪れるクライアントは珍しいらしい。
ヘンリーいわく、「おれは人をもてなすのが好きなんだ」「仕事はおれのアシスタントたちがやってくれるからな。基本的におれは暇だよ」とのこと。
こんな台詞、いつか僕も言ってみたい。
・境界を越える
翌日、ヘンリーの車で香港と中国の境界近くまで行った。
プライムラインの工場は中国側、深圳(シェンチェン)の郊外にあるのだ。
この深圳という都市は経済特区として栄えていて、人口規模では世界第十五位、中国国内でも北京、上海、広州に次ぐ第四の都市らしい。
まったく知らんかった。
「おれは中国側の運転免許を持ってないからな。ここからはビジネスパートナーであるパーシーの車で行くぜ」
とヘンリー。
ショッピングモールの地下駐車場から、近くの屋外駐車場へ。
現れたのはヘンリーと同世代の、やや大柄な、柔和な雰囲気の人物。
彼の車はレクサスだった。彼いわく「日本車はいいぜ。もうずいぶん長く乗ってるが、トラブルなしさ!」とのこと。
香港の印刷業界はもうかってんな! とまた僕は思った。
移動を開始すると、すぐに国境に着いた。高速道路の料金所みたいな雰囲気だ。
吉田氏と僕は車に乗ったままで、出入国カードに国籍と名前、越境目的を記入し、パスポートと共に提出した。
「中国と香港はひとつの国じゃないのか」「なんで国境があるんだ!?」と僕はヘンリーとパーシーにたずねた。
彼らは「ははっ」と鼻で笑った。
特に説明はなかった。
中国側に入り、三時間ほど走った。道の両側にはずっと農地が広がっていたけど、深圳が近づくにつれて、前方に巨大な摩天楼がそびえはじめた。空はスモッグで煙っていた。
ちょっとサイバーパンクっぽかった。
ガソリンスタンド前の屋台でヘンリーが龍目(小さいライチみたいな果物)を大量に買った。その場で、皆で少し食べた。
植民地の邸宅風のレストランで昼食をとった。
「気づいたか?」
ヘンリーがおもむろに龍目を取りだし、テーブルに広げながら言った。
「香港のウェイトレスは中年女性ばかりだが、中国側に来ると十代の女の子ばかりだ。こっちの若い子には仕事がないんだよ」
その若い子から「持ちこんだフルーツを食べないでください」と注意された。でもヘンリーとパーシーは気にせずむしゃむしゃと食べた。吉田氏と僕にも勧めてきた。
しかたないので食べた。
ウェイトレスは、もはやなにも言わなかった。
レストランを出た。
とうとう工場に着いた。
・工場/オフィスフロア
広大な敷地に、一見すると大学の校舎のような建物が三つ、そびえていた。それらの間を、両側に街路樹の立ち並ぶ道がつないでいた。
想像していた以上の規模だった。
「ここでは五、六百人が働いてるんだ」
とヘンリーが言った。
ちなみにパーシーはこの工場の実質的なオーナーらしい。元もとはパーシーの父親が印刷機一台で印刷会社を立ちあげ、ここまで大きくしたそうだ。ヘンリーはパーシーが事業を拡大する際に出資し、共同経営者になったとのこと。工場の管理はパーシーが、顧客とのやりとりはヘンリーが、という分担らしい。
ひとつ目の建物に入った。来客用とおぼしき玄関ホール。二階までの吹き抜け。ゆるやかに螺旋を描く階段をのぼり、扉を開けると、やや寒々しい印象の場所へ出た。
廊下がまっすぐ前へ続いていた。それぞれの部屋はガラスの壁によって仕切られている。中は丸見えだ。
最初の部屋は肩ほどの高さの間仕切りで区切られていた。香港側の事務所と似た印象。各ブースではスタッフがパソコンに向かっていた。ここでは経理や原価計算やスケジュール管理などの事務的な作業をすべて行っているらしい。
次の部屋はオープンスペースで、やや大きめのデスクにパソコンが一台ずつ置かれ、合計二十人ほどのスタッフが働いていた。ここは顧客から送られたデータをチェックする場所とのこと。データの形式が違いますよ、このデータだと背景の模様が消えますよ、これらのデータは統合したほうがキレイに裁断されますよ、といったアドバイスの数々は、すべてここから発信されているわけだ。
続いて巨大なデジタル出力機器の置かれた部屋。さらに、技術家庭科の教室っぽい印象の、やや大きなテーブルの配置された部屋。これらは印刷見本を出力したり、サンプルを組み立てたりする部屋らしい。
・工場/印刷フロア
扉を抜けて階段を降りた。
先ほどまではオフィスっぽい雰囲気だったけど、ここからは「いかにも工場」といった雰囲気に変わった。
天井は高く、壁はなく、フロアの端から端までが見渡せる。三百六十度、どちらを向いても大量の紙が塔さながらに積まれている。軽自動車よりも少し小さいぐらいの大きさの機械が立ち並び、うなりをあげている。それらの間を青いポロシャツ(これが制服らしい)を着たスタッフたちが動きまわっている。
スタッフの男女比は半々といったところ。平均年齢は三十歳ぐらいだろうか。
薄々気づいていたことだけど、この工場はボードゲームだけを印刷しているわけじゃなかった。大手電機メーカーの電球の外箱、ファストフードチェーンのポテト用容器、大手航空会社の機内誌、ステッカー、スケジュール帳などなど、ありとあらゆる印刷物が生みだされていた。
とはいえ、もちろん、この場に紙製品以外は存在しない。僕らがボードゲームの印刷を依頼した場合、ダイスやコマなどのプラスティック製品、あるいは木製品などは、彼ら彼ら自身が外部から調達するらしい。
さまざまな機械の間には、いくつかパソコンも置かれていた。ヘンリーいわく、「上のオフィスと連動して、常に印刷の進行状況を管理してるんだ」とのこと。
こうしたコンピュータ管理が行き届き、真新しい機械の数々が存在感を放つ一方で、見るからに古めかしい印刷機も数多く稼働していた。それこそスチームパンク・ムービーに出てきそうな「鉄の塊」も目についた。その隣には色とりどりのインクが入ったバケツが並べられていた。
ひとつの広大な空間に数十年ぶんのテクノロジーが混在している印象。
基本的な人件費が安いから、非効率な古い機械を使いつづけても損にならないのだろう。
フロアからフロアへと移動した。別の建物の中も見てまわった。
印象的だったのは、どのフロアにも必ず「不良品区」と記されたスペースがあり、チェックではねられた印刷物がどんどん捨てられていたこと。
「うちは品質の高さが売りだからな」
と話すヘンリーは、とても得意げだった。
・安心と感心とよろこび
ほかにも印象に残っている点がいくつかある。
まずは、プライムラインはブラック企業ではなかった、という事実を確認できたこと。
彼らの印刷費は日本の印刷所に比べて格段に安い。それでいてクオリティも高い。ドイツやヨーロッパの大手メーカーの作品を数多く手がけているため、そもそも経験値からして違うわけだけど、それはさておき。
僕は「中国の子供たちが劣悪な環境で酷使されていたらどうしよう」と怖れていた。もしそのような光景を目の当たりにしたら、即座にプライムラインとの関係は終わりにしよう、世界印刷のサービス自体も終了にしよう、と決意していた。
でも実際に現場を見てみると、まったくそんなことはなかった。
建物内はどこも清潔だし、たまに見た目の若い男女が働いていたりもするけど、ヘンリーいわく「彼らは長期休暇の間、近所の学校からパートタイムジョブのワーカーとして送られてくるんだ」とのこと。
「子供たちはカネがほしい、学校側は彼らに労働を経験させたい、おれたちは働き手がほしい。ウィン、ウィン、ウィンってわけさ!」
たしかに少年少女の一団は制服を身につけておらず、雑談を楽しみながら、和気あいあいと手を動かしている様子だった。
安心した!
印象的だったこと、その二。
印刷物はすべてデジタル入稿だ。データが印刷機に送られ、出力され、裁断や丁合も機械によって自動的に行われる。
でも、自動化されていない工程も存在する。
ボードゲームにはしばしば厚紙のチップが含まれる。これらの形状はゲームごとにまったく違っている。丸形もあれば四角い形も、微妙な楕円形も、はたまたキャラクターのイラストをかたどったものなどもある。
こうした厚紙ボード用の「抜き型」を作る作業だけは、いまも職人の手作業で行われていた。これがなにより印象的だった。厚紙ボードがどのようにして作られているかなど、僕はこれまで考えたこともなかった。
制作の過程はこんな感じだ。まずはデジタルデータとして作られた「抜き型」のラインを木製の板に転写する。その裁断線に沿って小指ぐらいの太さの木片を並べていく。それら木片の間に金属のブレードを挟んでいく。
できあがった板は、まるで電子回路が配置された基板のような印象だ。この「金属ブレードが配置された板」を押しつけることで、刷りあがった厚紙をコマの形に切り抜くことができるらしい。
印象的だったこと、その三。
これはとても単純で、世界的なベストセラーゲームと自分のゲームが一緒に、同時に作られている現場を見れて幸せだったという、ただそれだけ。
基本的にボードゲームばかりを印刷しているフロアもあり、そこには『世界の七不思議』や『乗車券』の「まだ切り離されていないカードのシート」や「組み立て前の箱」が大量に積まれていた。それらの隣には僕自身が作ったカードゲーム『キャット&チョコレート』シリーズの、やはり「まだ切り離されていないカードのシート」などが積まれていた。カナイセイジさんの『ラブレター』のサンプルなどもあった。
この場が「世界の最先端のボードゲームが生みだされている場所」であることを痛感した。その場を実際に体験できたことが、ひとりのボードゲームファンとして、純粋にうれしかった。
おまえそれぜんぜん視察とちゃうやんけ、仕事ちゃうやんけ、ただのミーハーやんけ、と言われてしまいそうだけど、うん、そのとおりなのだけど……うん、やっぱりそのとおりだ。
・帰国
工場の一角にはラウンジがあった。ヘンリーとパーシーが、あえてスタッフを下がらせ、みずからコーヒーを入れてくれた。「あれっ、コーヒー豆どこだ?」「フィルターもねーぞ」「なにもかもねーじゃん!」などと言いながら手を動かす五十男ふたりの姿は、妙にかわいらしく見えた。
その後もいろいろと思い出深いできごとはあった。
ヘンリーが深圳の高級マッサージ店へ連れていってくれて一瞬「エロい店か!?」と期待したけどそうじゃなかったり、香港の地元民が(たぶん元イギリス領だからだろうけど)みんな朝からラーメンや粥と一緒にロイヤルミルクティーを飲んでることに気づいたり、帰りの飛行機が台風のために十八時間も遅れたり。
とはいえ、これらはやっぱり印刷とは関係ないので、また別の機会に書くとしよう。
今回の旅の総括としては、プライムラインの仕事ぶりは信用できる、という、その一言に尽きる。
真面目に仕事をしている企業がちゃんと成功しているのはうれしいなぁ、としみじみ思った。
ヘンリーは「おれの親父は貧乏だった。半端仕事を三つも掛けもちしてた」「おれは大勢の兄弟と一緒に貧乏長屋で育った」「最初は普通に就職して、二十代の頃に兄貴と一緒に商売を始めて、三十年かけてここまで来た」と語っていた。
ボードゲーム業界の片隅には、こんなドラマもあるのだ。
さて、来月は、上海の印刷会社『マギクラフト』へ行ってみることにしよう。